「僕たちは世界を変えることができない。」を読んで。僕たちは世界を変えられないのか。
こんにちは!いたるです!
今日は葉田甲太さんの、「僕たちは世界を変えることができない。」のレビューを書いていきたいと思います。
僕もカンボジアに行って、作者と似たような葛藤を味わったので、僕自身の国際協力への考えと一緒に記事を書きました。
僕たちは世界を変えることができない。
「僕たちは世界を変えることができない。」は、パッとしない毎日を送る大学生が、カンボジアの子供達のために150万円で学校を立てる話です。
映画化もされた話題作で、向井理さんが主演を務めています。
大学2年生で初めてカンボジアを訪れた経験、そこで味わった自分への無力感、国際協力のあり方を考えた時間など、自分と共通しているものを多く感じた作品でした!
カンボジアで自分は何もできなかった
主人公も僕も、カンボジアで子供に物乞いをされる経験をしました。
一般に、「子供に物を与えるのはその子のためにならない。」と言われます。
ただ実際に自分の弟くらいの年齢の子に物を下さい、と懸命に頼まれると、
「そんな考え方は豊かな僕たちだからこそ言えることなのではないのか。本当に苦しい子になぜ与えてはいけないのか。」
という思いが生まれます。
結局僕は葛藤したままその子に何もすることができないままその場を去りました。
その時の自分への無力感や悔しさは忘れることができません。
主人公も作中でこう述べています。
「僕たちは、結局何もできやしないじゃないか。いつも見ているだけで、何もできやしないくせに、貧しい人を見て、心が揺さぶられ、かわいそうだと言うしかないじゃないか。」
国際協力に関心がある人、途上国を訪れた経験がある人なら誰もが味わう感情なのではないでしょうか。
人を救うのはお金なのか
人を救うのはお金なのか。
作中で主人公は、自分が汗水流して働くボランティア活動と、お金持ちが出す大金の貢献度について思いを馳せます。
「人を救うということは、自らが力を持つということなのだろうか。人を救うということは、自らを磨くということなのだろうか。」
「今、誰かを救えるような、何か強大な力が欲しい。」
実際に、例えばビル・ゲイツは、何億ものお金を寄付しています。
僕が必死にやるボランティアと、ビル・ゲイツが出す1億円どちらが社会を変えるかと言えば、ビル・ゲイツの1億円だと思います。
ただ僕はボランティアも大金も同じくらいとは言わずとも、両方欠かせないと思います。
大学生時代にボランティアを通して自分が学んだ経験をもとに、大人になってからお金や力を武器に世界を救える人になる。
ボランティアをすることで問題意識をもてたりモチベーションを得ることができ、将来につながるはずです。
自分がいま一番やるべきことってなんだ?
貧しい人達のために、世界のために、自分はまず何をすべきなのか。
今一番にやるべきことは何なのか。
このことについて僕もカンボジアに行ってから考えることが多くなりました。
筆者も似たような悩みを抱いています。
「だとすれば、今僕がやるべきことは、今すぐ日本に戻って大学で勉強することなのだろうか。」
「いったい、今僕がやるべきことは何なのだろうか。」
大学のつまらない授業を受けながら、「俺はこんなことよりやるべきことがあるんじゃないか。」と思うことがよくあります。
日常を何も考えずに過ごすことに不安を感じます。
劇的に「なにか」を変えることは出来なくても、自分ができる範囲で日常とは違う「なにか」をすることはできると思います。
少しずつでも将来世界を変える力をつけるために「なにか」をしていきたいです。
僕たちは世界を変えることができる
僕たちは今、世界を大きく変えることは出来ません。
募金だって、ボランティアだって微力でしかありません。
世界を変えるにはもっと大きなことをしなければなりません。
ただ、今の僕たちは、将来世界を変えることのできる可能性を持っています。
将来世界を変えるような人物になるために、今できることはたくさんあります。
英語の勉強、ボランティア経験、読書、世界を見て回る…など。
どの経験も将来につながってくると思います。
「世界を変えてやる、自分たちにはそれが出来る」と強く思いながら今できることを全力でやる。
それが今の僕たちにできる国際協力なのではないでしょうか。