北欧留学記〜留学先での生活・学校について〜

自分が来ているのはInternational People's Collegeというところ。

デンマーク民間学校であるフォルケホイスコーレの一つで、30以上の国から人が集まり、生活と勉強を共にしています。

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キャンパスはこんな感じ。自分が行きたかったけど落ちてしまった国際教養大学と雰囲気が似ている気がします。(だからこの学校に行きたかったのかもしれません、もう8年も前のことなのに笑)

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平日

平日は毎日授業があります。大体1日に90分×3コマほど。

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授業は自分が好きな科目を選ぶことができ、

自分は歌のクラスと、国際関係、教育学、デンマーク語、英語のクラスを取っています。

他にも哲学、工作、平和学、ワークアウト、リーダーシップ、映画作成、環境学、アフリカ研究など本当にさまざま。

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↑開講されている授業はこんな感じです。

 

休み時間はピアノやギター弾きながら歌ったり、チェスやトランプをしたり、体育館で卓球やバレーボール、サッカーしたり、外に走りに行ったり。

(昨日は10年ぶりに9km走りました。筋肉痛で腿がパンパンです笑)

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週末

週末の夜はパーティーがあります。

日本でいうクラブみたいな雰囲気です。

みんな歌って踊るのが好きすぎて、いわゆる陽キャのお祭り。

日本よりもヨーロッパの方が歌と踊りの文化が定着している気がします。ついていけず引け目を感じる場面も。笑

 

休日は街に散歩やお買い物に行ったり。

徒歩20分くらいにヘルシングオーアという港町があるので、降りて行って買い物したりカフェに行ったりします。

食事代がかなり高く、日本の2倍くらいかかる印象。

街並みは本当にきれいで、これぞ北欧・ヨーロッパ!という感じがします。

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サイクリングや電車に乗って首都コペンハーゲンにも行くこともできるみたいです。

個人的にはサイクリングがかなり好きなので、コペンハーゲンまで3時間くらいかけて自転車で行ってみたいなと。

あとはどこかのタイミングでヨーロッパの他の国にも旅行に行きたいなと思っています。

せっかくこっちまで来ているのでスウェーデンやドイツ、フランスあたりは行ってみたいなと。

 

英語

やっぱりヨーロッパから来ている人はみんなめちゃくちゃ英語が喋れます。

自分は日本の中だと英語ができる方ですが(TOEICは800点代後半くらい)普段の生活や授業の中で聞き取れないことがまだまだあります。

世界レベルだと全然まだまだだなと痛感中。

毎日1時間は自分で勉強しようと思います。

ヨーロッパと日本には英語教育に大きな差がある気がします。(帰国したら携わりたい分野の一つです)

英語についてはまた改めて書こうと思います。

 

 

 

来て早いもので10日が経ちました。

高校生の頃からずっと行きたいと願い続けてきた留学ですが、実際には自分の人生を俯瞰した中でのこの留学について考えることや悩むこともあって、自分も歳取ったな(大人になってきたな)と実感します笑

でも自分の夢や成し遂げたいことと繋がることなので、すごく大事な考え/悩みだと思います。

一つ一つとじっくり向き合って考えて、後悔のない人生/留学生活にしたいなと思います。

また今後についても改めて記事にできたらなと。

 

次の更新がいつになるか分かりませんが、また応援よろしくお願いします🙇‍♂️

 

北欧留学記 ~会社を辞めデンマークに半年間の留学へ~

大学時代に最後の記事を書いてから早いもので4年が経ちました。

実は今月からデンマークに留学に来ています。この4年間であった出来事や留学に来た理由も含めて、久しぶりに少し文章を書いてみようと思います。

 

【留学を決めた理由】

本当は大学卒業後、真っ先に海外に行くのが自分のプランであり願望だった。

留学や青年海外協力隊への参加など、海外へのいろんな道を考えていたが、新卒のタイミングでコロナが来て、海外の道が閉ざされてしまい、日本の企業に就職した。

3年ほど働いていたが、だんだん呑まれていく自分を感じた。もちろん楽しいこともたくさんあったしやりたかった仕事もできていたけど、新人のペーペーにはできないこともたくさんあった。25歳になったタイミングで、このままだと小さなころからずっと持っていた「海外に行きたい、世界で活躍したい、世界を変えるような人になりたい」と考えていた自分の夢が薄れてしまっていくのではないか、結局行かなくなってしまうんじゃないか、というのがすごく怖くなった。

特に留学は、高校時代からずっと行きたいと願い続けていたがずっと実現できていなかった、自分が人生で最もやりたいことだった。

無理やりにでも行かないとこのまま行かなくなってしまうと思って、現実的に海外に出れる術を探した。

修士への留学、協力隊への参加などコロナ前に考えていたことを再検討したけどしっくり来なかった。もっと言うと二つとも「今じゃない」と思った。自分が今やりたいのは自分が将来に渡って関わっていくであろう専門的なことを決めて莫大なお金を払って修士号を取得することではなくて、むしろ学生の時にできなかった海外での学校での学び、いろんな国から来ている人との関わりの中で学ぶ経験をしたいと思った。

自分が教育に携わっていた中でずっと北欧には興味があり、調べている中で「フォルケホイスコーレ」という学校/留学の仕方を見つけた。18歳以上であれば誰でも入れる北欧独自の民間の学校で、学位も試験もないが世界各地から集まる若者たちと一緒に国際関係や平和について英語で学び議論ができる、という自分にとってずっと理想として思い浮かべていた学校/留学の形だった。

MBA修士留学などよくある社会人の留学の形ではなかったので少し悩んだが、自分が本当にしたいと思うことに従うべきだと思った。自分の中にあるワクワクに従って行動することができないとこのまま段々おじさんになってつまらない人生になってしまうかなと思ったし、それだけは嫌だった。

半年間で学費/寮費/食費込みで約100万円と、ほかの留学に比べてかなり安い費用で行けるのも魅力的だったが、当時の自分にはほとんど貯金がなかったので、このために本気で節約して貯金した。

一日の使用額を1500円と決めて、朝はコーンフレーク、昼は日高屋の半ラーメン、夜はオリジン弁当の半額の食材、のような生活を送った。もともと節約がそんなに得意ではなかったけど、本当にずっと行きたかった留学のためだったので、本気で頑張れた。結果月に10万ずつくらい貯金することに成功して、1年間で航空券含めてぎりぎり留学に行けるくらいの費用を捻出できた。

当初父親には反対を受けていたが、お金も自分で何とかするし自分がずっとやりたかったことで、ここで行かなければ一生後悔するので、ということも伝えて納得してもらった。親には留学の支払いの瞬間にすこし借金をしたが渡航前にすべて返済した。

両親は行く前に3万円差し入れてくれた。社会人なので自分のことは自分で賄え、という至極当然のことだが、それをしっかりすれば結局応援してくれる両親にはすごく感謝している。この形でなければ自分が自由にやりたいことを追う人生にはできなかったと思う。

3年働いた会社も、ボランティアでやっていてすごく好きだったサッカークラブのコーチも辞めて留学に来た。上司も先輩のコーチの方々も、教えていた子供たちもみんな留学を応援してくれた。改めて周りの人にすごく恵まれたなと思う。コロナがなければ本当は所属してなかったはずの会社とクラブだったけど、ここでの経験ができてよかったと思う。

1月18日に始まってまだ3日目の留学。すべてがこれから始まるけれど、自分が今回ここに来た目的と、その目的を達成するための毎日の努力を忘れずに、そして何よりずっと夢だった留学生活を目いっぱい楽しむことを大事に、半年間過ごしていこうと思う。

インド旅行記[11.12日目]首都デリーを観光。やっぱり首都はすごかった!?

こんにちは、いたるです!

インド旅行も残すところ2日。

今回の記事は、首都デリーでの出来事を2日まとめて一気に書きます!

 

デリーの中心地へ。

昨日よく眠ったので、体力も回復。

10日目は少し良いホテルだったので、11日目は安宿を探すことに。

ガイドブックを見ると、ニューデリー駅のメインバザールに安宿街があるとの情報が。

どのみちニューデリー駅付近に行きたいと思っていたので、メトロでニューデリー駅に向かいます。

メトロの駅は今までないくらいの混雑。切符を買ってプラットフォームに入るのに15分ほどかかりました。

デリーのメトロは5種類ほどに分かれていて、それぞれブルーライン、イエローライン、レッドラインなどと色の名前が付けられています。

今回僕たちはブルーラインに乗って移動。

ニューデリー駅に着いて目の前のメインバザールへ。

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いかにも安宿街って感じで、タイのカオサン通りを思い出しました。

宿に着き、少し休んだ後付近を散策。

道には店が所狭しと立ち並び、人とリキシャーが駆け巡ります。

一番栄えているはずのニューデリーだけど、こんな感じの古びた街並みなのかー、インドはまだまだ全体的に発展途上なんだな、と思いました。

しかし翌日、そんなことはないことが分かります。

 

サウスデリーのショッピングモール

12日目。

デリーの中でも発展しているというサウスデリーに向かうことにします。

ルピーがかなり余っていたので、この日は贅沢して散財する日に。笑

場所はサウスデリーのショッピングモールに決めました。

インド各都市のショッピングモールを訪れていたので、デリーとはいえたかが知れてるだろ、と思って入ったら、愕然。

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日本のショッピングモール以上に綺麗で、並んでいる店も高級なものばかり。

インドにもこんなとこあったのか!」と驚かされました。笑

今まで見てきたインド人と同じとは思えないような、きれいな格好をした人ばかり。

同じ国なのに全然違う環境にいるんだな、と改めて思わされました。

高いご飯にマッサージ、アイスクリームとしっかり散財。笑

1日で3000ルピー(約5000円)使いました。

 

インドラストディナー…

ホテルもメインバザールにある良いホテルに移動。

使いすぎて300ルピーしか残っていなかったので、夕食は友達とメインバザールの普通のレストランで。

最後のディナーはもちろんカレー。

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インド来て、カレーとチャイだけは飽きなかった。

この二つだけは心からオススメできます。笑

レストランはテラス席で、上からインドの生活を見ながら食事ができます。

あんなに嫌だと思っていたのに、最終日になってみると、やっぱりインドを去るのが少し寂しくなってしまいました。

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また10年後くらいにインドがどうなってるか見に来たいなー…

 

これにてインド二週間の旅は終了。

明日は空港からトルコに向かいます。

インドは友達と2人でしたがトルコは1人旅。

トルコでブログを更新するかは未定ですが、安全に気をつけて楽しんできます!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

インド旅行記[10日目]アグラからデリーへ。

こんにちは!いたるです!

今回の記事は、インド10日目の記事。

タージマハルのあるアグラから、いよいよ首都デリーへ移動しました!

 

アグラ→デリーをバスで移動

朝ごはんをアグラのホテルで済ませて、いざ出発。

首都デリーへ電車で向かうつもりでした。

ホテルと契約してるリキシャーに乗り込み、アグラカント駅までお願い!と頼むと、

「デリーへ行くんだよね?どうしてバスでいかないの?」

と言われます。

運転手曰く、昼は電車が混んでいるので、バスの方が早く楽に着くとのこと。

本当にそうかどうかは分かりませんが、(笑)インドの移動手段で唯一使ったことのないのが高速バスだったので、友達と相談してバスにすることに。

運転手が連れて行ってくれた場所でチケットを購入し(アグラ→デリーのエアコン付きバスが500ルピー、850円)待つこと20分。

僕たちが乗るバスが到着しました!

中に入ると、意外としっかりしていて涼しく快適。

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3時間でデリーへ着く、とのことだったので景色を楽しんだり友達と喋ったり寝たりしながら道中を過ごしていました。

 

案の定全然着かないバス

11時発のバスで、予定なら14時に着くはずですが、14時半になっても全然着きません。

僕も友達も昼ごはんを食べておらず、お腹が空き始めます。

さらに、3時間乗っているうちに二人ともトイレに行きたくなります。

ふと見える標識を見ると、「デリーまで85km」の文字が。

「はぁ?あと1時間以上かかるじゃん!」

胃袋と膀胱の限界を恐れ焦る僕。笑

起きてると早く限界を迎えそうなので眠ることにしました。

眠ること1時間。目を覚ますとインドで見たことのない高層ビルが。

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「やっぱり首都はすげーんだなー」と思うのもつかの間、襲いかかる尿意と空腹。

結局、バスが目的地に到着したのは15時半前後でした。

アグラ→デリーが計4時間半かかりました。

インドの時間感覚はもう信じないぞ!笑

 

移動疲れでホテルで就寝

バスを降りるところには、示し合わせたかのようにリキシャーの運転手がわんさかいます。

ホテルのある街の名前を伝えると、2人で800ルピーと言われます。

たけぇなと思いながらもお腹の空いた僕たちはとっとと乗ります。笑

デリーの交通は凄まじく、僕たちの運転手も◯リオカートのように車の間を縫って飛ばします。

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街に着いていざ支払いとなると、

「ちょっと遠かったから1200ルピーね。」

と言われます。

「あなた800ルピーって言ったよね?そんなに払わないよ!」

「渋滞してたし時間かかったからさ。」

理不尽な要求に値引き交渉をしますが、結局2人で1100ルピー払うことに。

こっち来てからぼったくられてばっかりです。

 

近くのインド料理屋で遅すぎる昼ごはん(インド来てから一番美味しいカレーでした)を食べ終わると、2人ともどっと疲れが。

今日は一切観光していないけど、やはり長距離移動は体力を消耗するみたいです。

あらかじめ予約しておいたホテルに向かい、この日の夕方は夕飯も食べずにベッドでぐったりしました。

 

今回の記事はここまで。

インドも残り2日。2日間でデリーを一通り観光します。

インドの首都デリーはどんなところなのか。

これ以上騙されないでインド旅行を終えられるのか。笑

続く。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

インド旅行記[9日目]夢にまで見たタージマハル。

こんにちは、いたるです!ちょっと遅くなりましたが、インド旅行の9日目、アグラの旅の記事です。

 

インドに行きたかった理由

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僕がそもそもインドに行きたい、と思ったのは、タージマハルを生で見たかったから。

大学の教職の授業で、インドの歴史について授業を作る機会があり、そこでムガル帝国とタージマハルについて学びました。

世界史の教科書に載っているタージマハルの写真を見ながら、

「これ実際に行ってみたらどんな感じなんだろう…?」

と思うように。

そして僕のやりたいことリストに

「・インドに行く。」

が加わることになりました。笑

まさかこんなに早く実現することになるとは思いませんでしたが、「やりたいことは今すぐ、そして全部やる!」をモットーにしてるので、いいことだと思ってます。笑

チェンナイは友達と会うため、バラナシはガンジス川を見るためでしたが、アグラに来たのは言うまでもなく、タージマハルを見るため。

インド来てタージマハルを見ずに帰れるか!

 

夢にまで見たタージマハル

いよいよタージマハルを見るとなって、友達と話してたのが、「案外大したことないかもよ?」ってことでした。

写真で見たタージマハルは良く撮れているものなので、実際はそんなにすごくないんじゃないか?

僕はなにかをする前は盛り上がるけど、実際やってみると冷めてしまうこともある人間なので、(笑)

今回のタージマハルがそうなってしまうことが怖かった。

1200ルピー(2000円くらい)というなかなかの大金を払って入場。

正門から入り、いざ見てみると…

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美しい…

真っ白なタージマハルに息を呑みました。

全然ガッカリスポットなんかじゃない、タージマハルは本物だ。

想像していた通りではあるけれど、それでもやっぱり美しいタージマハルに感動しました。

多分1時間くらい見てても飽きない気がする。笑

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タージマハルの中に潜入!

真っ白なタージマハル、これ中に入れるんです。

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映画アラジンでは、タージマハルは宮廷とされているけど、実際はタージマハルはお墓。

ムガル帝国の皇帝シャージャハーンが愛する奥さんのために作ったものなんです。

中には実際に墓石がありました。(撮影禁止なので写真はありません)

でも遠目から見てると、やっぱりこれが宮殿で、こんなところに住めたらいいなぁー、と思っちゃいます。笑

 

タージマハルはやっぱりすごかった!

今回はここまで。

タージマハル一色の記事でしたね笑

憧れて行ったけど、やっぱりタージマハルはすごかった。

インドに行くなら絶対に行くべきです!

 

インド最大の目的は果たしましたが、次はいよいよ首都デリーに移動。

インド旅のラストはどうなるのでしょうか。笑

乞うご期待。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

インド旅行記[8日目]バラナシ→アグラ、深夜列車の旅

こんにちは!いたるです!

今日はインド旅行8日目。

ガンジス川のあるバラナシを出て、タージマハルのあるアグラに向かいます。

 

チケット購入まで

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深夜列車は数日先まで完売のことが多いらしく、今回僕たちも宿の人に、「もういっぱいかも」と言われていました。

でも寝台列車で移動することは、インドて僕がどうしてもやりたかったことの一つだったので、辛抱強くチケットを探すことに。

インドの街の人に聞くと、「僕の友人が裏道で取れるよ!」と言っていましたが、ちょっと胡散臭いので他の手段を調べました笑

バラナシ駅の外国人窓口に行くと、外国人専用のチケットがまだ余っていました!

インド人用のチケットはいっぱいでも、旅行者用のチケットが用意されているみたいです。

価格は通常より高く、バラナシ→アグラのエアコン付き2等車が通常約1400ルピー(2380円)のところを、2000ルピー(3400円)で購入しました。

 

乗るまでが大変?

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インドの列車は乗るまでが大変だと言われています。

駅に着いたら電光掲示板で自分の乗る電車を探し、何番のプラットフォームから出るのかを確認します。

当日に乗り場が変更されることもあります。

プラットフォームに着くと5分前にもかかわらず、まだ前の電車が止まっています。

インドの列車は遅延が名物。(?)

1.2時間の遅れは日常茶飯事で、5.6時間遅れることもしょっちゅうあるみたいです。

僕たちの電車は幸いにもバラナシ駅始発だったため、そんなに遅れることもなく(それでも10分くらい遅れた)トラブルなしで乗り込むことができました。

 

いよいよ深夜列車の旅スタート!

僕の座席はこんな感じ。

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2段ベッド×2つで4人が一つの区画に入っています。

僕、インド人男性、ドイツ人女性が二人。

(男女分けられないので女性の方は注意)

寝ている間に取られないように荷物をワイヤーロックでハシゴに括りつけます。

2等車はシーツとブランケット、タオルがそれぞれに配られます。

食事はカレーとチャイの販売が回ってきて、それを購入します。

乗る前にスナックなどを買っておいてもいいと思います。

一番の注意点は、エアコン付き車はとにかく寒いということ。

半袖半ズボンだと確実に風邪を引きます。

羽織るものを持っていきましょう! 

 

全然着かない…

22時頃就寝し、到着予定6時半の少し前、6時頃に目が覚めます。

今の現在地を確認すると、目的地アグラのはるか手前。

予想はしていたけど、予定時刻には着きそうもない。笑

結局アグラに着いたのは10時半ほど。4時間程度遅れました。

インドの電車の到着時刻はあてにしない方がいいですね笑

(降りたアグラの駅で猿に噛みつかれそうになりました。駅に普通にいる猿とか犬怖い。)

 

今回の記事はここまで!

8日目夜→9日目朝の夜行列車を終え、9日目、10日目はアグラ、10-13日目でデリーをブラブラする予定です!

その後はいよいよトルコへ。はやく先進国いきたい。笑

旅もそろそろ折り返しを迎えます。

体調に気をつけながら最大限楽しみます!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

インド旅行記[7日目]念願のバラナシ観光。ガンジス川で騙されまくる。

こんにちは!いたるです!

今日は7日目。7/7七夕の日。

インドはあいにくの雨。

インドに来てから一週間が経ちました!

ようやく体調が回復してきたので、今日はガンジス川を中心にバラナシを観光。

これでもかというほど騙されました。笑

 

バラナシの街並み

バラナシの街はこれでもかってほどザ・インド。

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表通りには、昼も夜も多くの人が行き交います。

大通りから一つ隣の道に入ると、安宿や店が並ぶ狭い裏路地。

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裏路地は夜はとても暗くなるので、できるだけ出歩かないことをお勧めします。

 

ガンジス川

ようやく見ることのできたガンジス川

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ヒンドゥー教の聖地とあって、多くの人が沐浴していました。

行く前に予防接種を打った時に、お医者さんにも「ガンジス川には絶対に入るな」と言われていました。

体調を崩していた僕は、「今沐浴すると死ぬ!」と思い見るだけに。笑

 

バラナシで騙されないのは不可能?

大して外に出てないくせに、自分で分かっているだけで3回も騙されました。

 

1つ目。

対岸に渡りたいと思い、ガンジス川付近をうろうろしていると、日本語で声をかけてくる青年が。

いくら?と聞くと、

「今大統領が来ていてゲートが封鎖されているから高くて1500ルピーだよ

と答えます。

まあそうかとリキシャーに乗ってホテルに連れて行ってもらいました。

実際にインドのお偉いさんがバラナシに来てたのは事実でしたが、帰りは500ルピーほどで乗れました。

3倍もの値段を取られたわけです

 

2つ目。

近くのレストランで食事を済ませた後、目的地へ帰ろうと裏路地を歩いていると、

「どのゲストハウス?案内するよ!」と日本語で声をかけてくる人が。

「〇〇ゲストハウスどっち?」と聞くと着いて来いと言われます。

結果としてゲストハウスに連れて行ってはくれるのですが、

案内したからお金ちょーだい」と言われ、結局20ルピー取られることに。

 

3つ目。

ガンジス川沿いの火葬場のあるマニカルカーガートを訪れると、火葬場で働いているというこれまた日本語で話す青年が。

「私ガイド代取らないよ。ここは写真撮っちゃダメ。道が決まってるから着いて来て。」

と言います。

ガイド代取らないし、火葬場だからルールに従わないとか。

と思い、一通り案内してもらった最後に、

遺体を燃やすための薪を買う寄付金を払って。」と言われます。

まあ少しくらいならいいか、と思っていたら850ルピーを要求されます。

ここで始めてそういう手段だったのか、と気付きますがタダで帰してもらえず。

結局500ルピーを払うことに。

 

こうやって文字に起こしてみると自分でも、なんでこんなありきたりなものに引っかかったんだろう?と思います。笑

ガイドブックなどで知っていた手口なはずなのに。

でも実際に体験してみるとあっさり騙されてしまうもの。

そして何かされた後には人間は断りにくいもの。

最初から「お金は払わないよ。」と言う、などの対策が必要だったのかもしれません。

あとは、日本語で話しかけてくる人は無視すること。笑

(何も取らずに道を教えてくれる心優しい人も沢山います。)

 

7日目にして騙されすぎて、人間不信になりました。笑

そしてこんなに簡単に騙されるポンコツな自分への自信もなくなりました。

一週間経ちましたが、熱中症、騙される、腹壊す、など一通り経験し、今は風邪を引きかけています。

はっきり言います。

 

インドもうやだ!!!!!笑笑

 

明日は深夜列車でタージマハルのあるアグラに向かいます!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!